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早朝帝国ホテル

よう。
 当時アメリカの新聞、通信社の数は現在とは比較にならぬほど多く、種々の新聞が一日中入れ替りニュース・スタンドに見られた。当然の結果、各紙は人目を引くために競ってセンセーショナ

ルな大見出しを使った。各社間はいうに及ばず、同じ社内でも競争は実に激しく、誰もがスクープを狙って緊張していた。従軍記者もその例外ではなかった。
 GHQ(連合軍総司令部)発表によると、リーたちが厚木入りした八月三十日より九月二日のミズーリ号における降伏文書調印式までに日本入りした連合軍報道関係者は、少なくとも二百三十

人以上いたといわれる。当時、東京でアメリカ軍関係が使えるホテルは帝国ホテルと第一ホテルのみだった。
 そのうち第一ホテルが記者たちに当てがわれていたが、もちろん間に合わない(すでに他に家や部屋を借りていた記者もいたが)。GHQは報道人が多すぎるとして、一カ月後には、東京駐在

の記者を七十六人にしぼり、他の記者を強制的に締め出したため、大問題になったほどだ。
もっとも、中島はリーに協力したのはお金のためではなく、戦前、病気の彼の妻がリー夫人の世話になったりした義理のためだといっている。レスリー中島はハワイ出身の二世である。開戦後

UP東京支社は閉鎖され、失職した彼は、一家を養うために同盟通信記者となっていた。
 彼の宣誓供述書によると、中島は誰が東京ローズであるかを知らなかった。が、その名は戦時中、外信ニュースで聞いていた。リーたちから、ローズを捜し出したら大スクープだ、協力してく

れ、と再三頼まれた彼は、翌三十一日の朝再びNHKへ出かけた。そこで彼は、以前から顔見知りの沖健吉をつかまえて、東京ローズは誰かとあらためて質問した。沖は初め、その名を使った女

性アナはいなかったと他の局員同様に逃げたが、やがてGIに人気のあった番組「ゼロ・アワー」には五、六人の女性アナが出ていたと答えた。それら女性アナの名でも教えて欲しいと中島がさ

らに頼むと、沖はちょっと思案した後、たった一人の女性アナの名をあげた。アイバ戸栗(結婚名ダキノ)であった。
 リーは厚木に一泊した後、三十一日に戻っていた。中島はさっそく彼に電話を入れた。「東京ローズの名を使った女性アナは実在しない。しかし該当しそうな女性アナは五、六

人いるらしい、そのうち一人の名が判明した」とリーに伝えた。リーは、ローズが誰か分ったわけではなかったので落胆したらしく、考えてみるといっていったん電話を切った。だが、しばらく

して電話してくると、「分った。彼女でいく、とにかくアイバ戸栗と至急連絡を取ってくれ。独占インタビューに応じるなら二千ドル払うといってくれ」といった。以上は中島の証言である。
 リーの証言は少々異なっている。彼によると、三十一日午後中島は興奮してホテルのロビーに駆けつけ、「ローズが見つかった。彼女は自分と同じ同盟通信社員の妻だった!」と報告した。ブ

ランディッジはさっそく中島に「もし彼女が独占インタビューに応じるなら、コスモポリタン誌が二千ドルで契約したいと伝えてくれ」といった。そして、できれば明朝九時半に連れて来て欲し

いと頼んだ。
 この二千ドルの契約金のことは、ブランディッジがコスモポリタン誌の特派員としてやったことであり、自分とは無関係だったとリーはいう。独占インタビューをリーがまず新聞記事として大

まかに使った後、ブランディッジがコスモポリタン誌で詳しい記事にするというのが二人の約束であった。二千ドル(当時の約三万円)は、その頃の日本では目の玉の飛び出るような額であるこ

とはいうにおよばず、アメリカにおいてさえも、普通のサ
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